年末に、家族4人そろってわたしの実家へ帰省しました。
わたしには弟が2人います。
弟ふたりは数年前からそれぞれ海外に赴任していて、ひとりが昨年末に日本に帰任、もうひとりも冬休みで一時帰国してきたため、ひさしぶりに実家に一族全員がそろう形になりました。
今回は弟①が海外赴任から帰任、弟②も一時帰国でき、久しぶりにみんな揃った年末年始。
— ヌー : すっきり、さっぱり。 (@like_a_rhino) December 31, 2019
30日に集まって食事できたし(礼文島のいくらとカニ、美味しかった…)、
大晦日の夜に渋滞なく自宅へ戻ってこられたし、
正月は家族でゆっくり過ごせるしで、
まことによきスケジュールでしたっ! pic.twitter.com/sJUSoZB8gw
弟たちもそれぞれ2人と3人の子持ちなので、わたしたち3人きょうだいの3家族がそろうと全部で13人、母を含めて14人。
年末、にわかに大所帯となった実家で、「うわ、やっぱりめんどくさいわ!」と改めて思ったことを少し。
茶碗、お椀、お箸、めんどくさい!
実家へ向かって出発する前に、実家の母から何度も確認のメッセージが来ていました。
「お茶碗とお椀とお箸、持ってきてね!」
どうやら、いつかこうして全員そろうことがあるかもしれないからと思ってずーっと残してきたお茶碗類をいつのまにかうっかり処分してしまい、数が足りないから、とのこと。
ということで、わが家のものをまるまる持っていきました。
義実家からもらった萩焼の茶碗4つ、浄法寺塗のお椀4つ、とんかつ和光でも使われているという使いやすい六角春慶のお箸4膳。
で、それはよかったのですが、着いた先の実家で大・大・大混乱。
というのも、わが家が持って行った分以外はみんな実家にもともとあるものを使っていて、それがお茶碗からお椀からお箸に至るまで、ぜんぶバラバラの大きさ、色、柄。
それらを適当に使っているならまだしも、母のなかで「このお茶碗、お箸は○○ちゃんの」とむかしから決まっているようで、ひとつひとつご飯をよそう量も確認しないと入れられず、お箸も配膳すらできない。
さらに、母が言ってるだけなら「もう!適当にしちゃえばいいじゃん…!」で済ませられるのに、甥っ子姪っ子たちが小さな子ども特有の記憶力&こだわりの強さで「これぼくのじゃない」「わたしの箸がない」ともう、毎回毎回めんどくさすぎるの極み…。
最後には「箸はここから自分で持って行って!はいどうぞー!」と匙を投げてしまいました。
みんな一緒にしちゃえばラク!
わが家でも、以前は家族4人柄違いでこのお茶碗を使っていました。
でもやっぱり、たった4人でもお茶碗がそれぞれ違うのってめんどくさかった。
このお茶碗がわりと硬質でちょっとぶつかっただけでも割れやすく、何枚か割ってしまった後でもうすっぱりと考えを切り替えました。
お茶碗なんて、みんな同じでいい。
お茶碗の色柄で味は変わらないし、ごはんをたくさん食べたい人はお茶碗の大きさにかかわらず二度三度とおかわりをすればいい。
お箸だって、ちいさい子ならともかく、中学生にもなれば大人と同じでまったく問題ない。
そして毎回きちんと洗っているのだから、色柄でわざわざそれぞれ分ける必要性もない。
とってもちいさなことですが、いっしょにしたらとても気楽になりました。
(お椀だけは溜塗りと朱塗りで色分けされていますが、これもいまだったら全部溜塗りで4つそろえちゃうな…。)
おわりに
実家にて、あまりに毎食毎食めんどくさすぎるのと、母が「持ってきてもらったこのお箸、すごくつかいやすそうだね」と大層感心したように言うので、
「もう、お茶碗もお箸も全部そろえちゃえばいいのに…ラクだよ?」
とつい余計なことを言ってしまいました。
母いわく、
「そうなんだろうけど、もういまさらモノを増やしたくないし、使えるものを捨てるのもイヤだしね」
とのことで、たしかにおっしゃる通りでもあります。
日本ではむかしからMy茶碗、My箸がある文化の中で育ってきているひとが多く、それが当たり前のようになっています。
ただ、同じ食卓に並ぶものでもお皿や小鉢ではそういうことがないので、やっぱり単に慣れ、慣例というだけなのかなと。
だったら、わたしは少しでも自分がラクできるほうがいいや。
毎回これはダレ用かをいちいち考えて配膳する手間をかけるほど、お茶碗や箸のそれぞれの色柄にこだわりも熱意もないし…。
適当でいいことは、どんどん適当に。
— ヌー : すっきり、さっぱり。 (@like_a_rhino) January 10, 2020
こだわって楽しいことは、どんどんこだわって楽しく。
その取捨選択の基準もバランスも、自分が決める自分だけのもの。 https://t.co/edzyWgMafu
自分にとって適当でいいことはどんどん適当にして、ラクすることを選んでいます。