「過去の人」です
新型コロナウイルス休校で、わが家の娘も缶詰め状態がつづいています。
そんな中で流れてきたツイートに思ったことを。
オトシヨリのわがままはキリない。
— ヌー : すっきり、さっぱり。 (@like_a_rhino) March 15, 2020
わがままは子どもにこそ必要。
オトシヨリは弁えて欲しい。 https://t.co/peVyQSJ7TQ
新型コロナ休校以来、公園で子どもたちが遊んでいる、なんとかしろという苦情の電話が厚生労働省に入ったりもしているそう。
それに対して厚生労働省としては外遊びは推奨しているという回答をしているそうですが、正直、この苦情電話はずいぶんわがままだなと。
子どもたちはすごく我慢してる。
学校も行きたかっただろうし、卒園や卒業式やお別れ会もちゃんとしたかっただろうし、せっかくの春休みに友だちと集まって遊びまくりたいはず。
人間、自分の思うままにしたい気持ちはみんなそれぞれ持ってるし、その気持ちがこれまでの世界を変えたり前に進めたりしてきた何よりの原動力でもあったと理解しています。
でも、基本的に社会の主役はあくまで子どもから壮年までの「現役」世代であって、そこをすでに潜り抜け終わった「過去の人」の世代ではないとも思うし、だからこそ第一線から離れたところで主役とバランスをとりつつ存在する「隠居」という概念はとても合理的だと思うのです。
(もちろんそれは、それまで社会を変え動かしてきてくれた世代への敬いの気持ちの有無とはまったく別の話です。)
弁えのない年寄りが増えた。
— ヌー : すっきり、さっぱり。 (@like_a_rhino) March 15, 2020
昔、ヨガ教室でいいとこのマダムみたいな女性が、自分の娘の子育てが気に食わない、自分にやらせてもらったら孫をピアニストでも医者でもならせられるわ!とかマジで言っててゾッとした。
楽しく生きてくのはいいけど「過去の人」として弁えてほしい。「我儘」よくない。
「過去の人」が主役を降りた後の人生を個々に楽しく明るく豊かな気持ちで生きて行くのは大賛成だし、わたしだってそこを目指しているつもり。
でも、「現役」世代をおしのけ、自分がいつまでも社会の中心世代であるような我が物顔で自分の思うがままにしていくのがいいとはまったく思いません。
「現役」世代が動かす世の中に思う所はいろいろあったとしても、自分が「過去の人」であることは自分なりにきちんと弁えつつ生きて行きたいです。
欠けているのが当たり前
ツイッターでのやり取りから感じたことを、言語化できてすっきりしました。
「穴が空いてる(無いものがある)のが当たり前」
— ヌー : すっきり、さっぱり。 (@like_a_rhino) March 15, 2020
「無いなら無いで、それなりに」
「あったらあったで、ありがたく」
自分の考えをまとめるとこの3つだな。すっきり。 https://t.co/3pRDvQo7aS
わたしは、自分の世界には欠けている部分があるのが当たり前だと思っています。
その欠けを埋めなくちゃとはまったく思わなくて、欠けたままでいいんじゃない?どうせそこを埋めたとしてもほかが欠けるんだし、そもそも欠けてないところだってほかにたくさんあるんだし、という感じ。
だから先週書いたように、「欠けてるものや足りないものの方ばかり見てるのに、ミニマリストが日本でブーム!とか、ウケる」となります。
そうはいっても世の中がこういうタイプばかりでは、これまで世界が必要としてきたいわゆる進歩や発展はとてもとても望めないものだったはずなので、「欠けてるものの方を集中的に見る」役割はそういうのが得意な方にお譲りすればいいと思っています。
無いなら無いなりにやるし、あればあってくれることに感謝。
「ふつう」なんて案外あっさり変わる
新型コロナウイルス対応で、家庭での生活リズムが激変。
しばらくは調子が狂っていましたが、だんだんそれもなんだか「ふつう」になってきました。
今日のわが家
— ヌー : すっきり、さっぱり。 (@like_a_rhino) March 16, 2020
娘、休校
夫、在宅
…だんだん感覚が麻痺してきて、これが「ふつう」になってきそう。
なにがふつうかって、じわじわしつつも案外あっさり変わるのかも。
違和感があることへの対処法は、感情部分ではないところでひたすら淡々と続けることがとても有効だったりするんだろうな。
なにが「ふつう」かなんて、案外あっさりひっくりかえるもんです。
よくもわるくも。
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