まいとし、7月になるといろんなことを振り返る気持ちが強くなります。
誕生日を迎える月であることと、2003年にがん治療の長期入院から一旦ようやく退院したものの、「この先一体どうなるんだろう…?」と不安に押し潰されていた時期でもあったためだと思います。
あ、今日、がん治療から一旦退院した日だ。
— ヌー : すっきり、さっぱり。 (@like_a_rhino) July 14, 2020
2002年の11月28日に入院して、2003年の7月14日に退院した。
8月1日から一か月間放射線治療のために通院してたのが、よりによって最後の日に高熱が出てしまい、そのまま再入院した。
あれから17年!?はやいねえ…。
退院以来17年、わたしの生きる上での姿勢は、それ以前のものから劇的に変化しました。
いまのわたしをかたちづくっていると思う、がんの経験から学んだ3つのことについてまとめます。
がんの経験から学んだ3つのこと
がんの経験から学び、それ以来わたしのモットーになっていること3つ。
「快」がわかれば「不快」がわかる
これ、本で読んだのだったか、食事養生を教えてもらった病院の医師のことばだったのか記憶が定かではないのですが。
人間、気持ちいいとか楽しいとかラクという状態を味わい知って初めて、それまでいかに心地よくない状態にあったかが自覚できる、そこから抜け出ようという思いに至れる。
わたしは生まれてから大人になるまでずーーーっと虚弱で体力がなく、しょっちゅう体調を崩すことをひたすら繰り返していました。
それでも、わたしにとってはそれがあたりまえ、ふつうのこと、通常運転だった。
だからそれがいわゆる「不快」な状態であると自覚したことはなかったし、そこから抜け出せるものなら抜け出したい、と思うことすらありませんでした。
そんなわたしががんを発症し、長い入院治療でからだもこころもぼろぼろになり、生きるか死ぬかの状態から気が遠くなるほど一進一退しながら立て直してくる過程で、それまでの人生で感じることのなかったたくさんの「快」を知りました。
- おなかが空くと、ごはんってこんなにおいしいんだ。
- からだが軽くなるって、こんなにラクなんだ。
- 歩けるって、動けるって、こんなに気持ちよくて楽しいんだ。
そこではじめてそれまでの自分がいかに「不快」にまみれ、甘んじていたかを、我がこととして腹の底から実感。
そしてようやく、そこから少しでも自分がよりラクに、より気持ちよく在ることを求める気持ちが湧いてきました。
「快」を知ること、求めることって、大事。
「絶対」はない、すべてはバランス
長い入院治療から退院後、2度とがんをのさばらせないためにはそれまでの体質や気質をがらりと変える必要があると思い、ヨガや食事養生を始めました。
自己流で玄米菜食やビーガンのような食事法をとるようになり、ヨガはまいにち2時間。
びわ温灸も、冷え取り療法もやりました。
漢方を処方してもらって飲んでいたこともあるし、サプリメントも摂っていました。
玄米菜食などは、しまいには栄養失調になって高熱を出して入院するほどゴリゴリやりました。
でも、これらのどれもが「ただひとつの絶対的な真理」ではない。
絶対に玄米じゃなきゃいけない、絶対に肉を食べてはいけない、絶対に添加物はからだに入れてはいけない、絶対に絶対に絶対に…。
こうなると、たちまちどんどん自分自身がかたく、狭量になっていきます。
自然はなにか絶対的なひとつの真理の下にではなく、すべてのものごとの間のバランスで成り立っている。
一個の人間だって同じです。
おおらかに、柔軟に。
心身一如(しんしんいちにょ)
「心身一如」はもともとは仏教用語で、肉体と精神が不可分一体であることを表します。
そこから派生して、東洋医学で肉体と精神を切り離さずにトータルで診る、というようなニュアンスで使われたりします。
心の不調はからだの不調につながり、からだの不調は心の不調につながる。
心の元気さはからだの元気さにつながり、からだの元気さは心の元気さにつながる。
心もからだもセットで「快」であれ。
自分が病気を経験してみて、そしてそこからの回復の過程を通して、ほんとうにその通りだと実感しています。
これに関してもうひとつ、わたしが自戒していること。
「からだを置いてけぼりにするなよ」ということ。
わたしはどうしても頭でっかちで、脳みそだけで生きているようなところがありました。
もともと肉体が根本的にどうしようもなく重荷だったこともあって、もはやからだは「そもそもないもの」として半分捨てているようなところがあった。
肉体感覚なんて、ガン無視です。
からだはどうでもいいやと始めから勘定に入れなければ、脳みそに次々と流れ込んでくる外界からの刺激で抜け殻を振り回し、引きずり回すのはかんたんなこと。
そうやって「ラリったような」状態の脳みそだけで生きている気になっていた、そして、ついに悲鳴を上げたからだに盛大な復讐をさせてしまった、自分への大いなる反省があります。
「頭だけで生きて行けると思うなよ」「肉体感覚も大事なんだぞ」「思考と肉体感覚とのセットでしか、自分というモノは在りえないんだぞ」ということです。
おわりに
わたしのモットー3つ。
- 「快」がわかれば「不快」がわかる
- 「絶対」はない、すべてはバランス
- 心身一如
ということで、わたしはできるだけひとつのものごとや考え方に固執せず、柔軟にバランスを取りながら、心とからだ両方の「快」を求める生き方を心がけるようになりました。
自分の精神も肉体も、バランスよく、快適に。
そしてそれは家族関係、人間関係、もの選び、お金のつかいかた、すべてにつながっていくことでもある。
それが「生きる」ってことだよな、などと改めて思っています。
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