台湾旅から戻ってきました。
#台湾 から、ただいま〜!
— ヌー : すっきり、さっぱり。 (@like_a_rhino) October 28, 2019
写真は、最後に泊まったホステルを今朝チェックアウトしてきた時の様子。
いつも通りろくに下調べせずに行ったけど、行った場所、食べたもの、泊まったところ、どこも全部すごくよくて。
今回もたのしい&いい旅でした!#台湾旅行 #一人旅#LeicaQ #ライカびと pic.twitter.com/2L7ik49GtP
高校生の娘の2泊3日の学校行事のスケジュールに、これ幸いと乗っかる形で行ってきた4泊5日。
こちらの旅の記録はまたおいおいまとめていくとして、この一週間のツイートを振り返ります。
育児家事は「最低限」で
コラムニスト、エッセイストで、テレビ番組のコメンテーターとしてもお見かけする犬山紙子さんのご主人、劔樹人氏のインタビュー記事について。
『スーパー主夫になりたいわけでは全くないので、育児家事は「生きていくためにやるべきこと」というだけ。』
— ヌー : すっきり、さっぱり。 (@like_a_rhino) October 29, 2019
わたしも完全にこのタイプ。
「最低限」で。#コンプレックスと私の距離 https://t.co/JZjgQ8rMOL
お互いにきちんとコミュニケーションをとり、風通しよくバランスのとれたご夫婦の関係が見て取れ、読んでいてスカッとしました。
その中でも、主夫として家を切り盛りしている劔樹人氏の『スーパー主夫になりたいわけでは全くないので、育児家事は「生きていくためにやるべきこと」というだけ。』ということばに共感。
わたしも劔氏と同じような考えで、結婚なるものをして家庭なるものを持ち、子なるものを成した者のお役目として、日々最低限「やるべきこと」をやっているだけだと思っています。
わたしにとって育児家事は、ハイクオリティーを追求するものではなく、できるだけ省力化&低関与化したいもの。
おなじ「やるべきこと」だったら、ラクに身軽にしたいのです。
その分だけ、自分の「やりたいこと」にエネルギーを回すことができるから。
料理、掃除、洗濯など家事全般にわたってどんどん「やるべきこと」を省いて合理化してミニマムにしているのはそのため。
わたしにものすごいバイタリティーがありどんなことでも精力的にこなせるだけの体力気力があるのなら別ですが、現実はそれとは程遠い。
省エネ化しつつエネルギーの配分に優先順位をつけざるをえず、でも、そうやってわたし自身を守っていることが結局家庭の維持にもつながっていると思っています。
世の中をおもしろがる
「人生を楽しむための教養」についての記事に関して。
『世の中のすべての事象は「おもしろいかどうか」ではなく「自分がおもしろがれるかどうか」に尽きるのだと思います。』
— ヌー : すっきり、さっぱり。 (@like_a_rhino) October 31, 2019
おもしろいことは、待っていてもやってこないから。
おもしろがるために、健康な頭と、心と、脚を持ちたい。
人生を楽しむための教養。 https://t.co/IEPErS0OMZ @hirofumi21
自分がなにもしなくてもおもしろい人生、なんて存在しえないのだろうなと思っています。
わたしはほんとに、
— ヌー : すっきり、さっぱり。 (@like_a_rhino) June 8, 2018
✅行きたいところへ行くし、
✅やりたいことはやるし、
✅会いたい人には会いに行く。
5〜6年前のわたしから今のわたしを見たら、ノーテンキでフラフラしてて、まちがいなく超〜嫌い。アホじゃんって思う。
でもさ?
やってみたら?
結構たのしいよ✨?
って今なら言う。
おもしろい人生がやってくるときを夢見ながら待つのではなく、自分からおもしろがりに行く。
自分からおもしろがりに行くためには、健康でバランスの良い思考、マインド、そしてそれらを運ぶしっかりした脚が必要になる。
だから、いろんなことを考え、感じ、そしてできるだけ歩いたりからだを動かしたりすることを日々意識しているつもりです。
いつでもどこでもおもしろがりに行けるだけの素地は、日々コツコツつくっておかなくちゃ。
やるべきことをやるだけ
娘は高校2年生、大学入試センター試験に代わる新しい大学入試制度が始まる年に、大学受験となる学年です。
大学入試の英語外部テストのゴタゴタで。
— ヌー : すっきり、さっぱり。 (@like_a_rhino) November 1, 2019
高2娘
「今日学校で、私たちどうなるんだろう?って言ってたらさ」
…うん、延期?中止?なんか大変そうだね。
「英語の先生が、"どっちにしたってあなたたちのやるべきことは変わらないでしょ"って。」
うん、ほんとそれ。立派な先生だね。
英語の試験に外部試験を導入するという制度が、ついに頓挫したようです。
これについて、たしかに国はなにをやってるんだろうなと情けない気持ちはありますが…。
自分の子どもに関することではあっても、わたしは試験制度がどんなものになっても正直どうでもいいかな。
あまり興味がありません。
今後彼女が生きて行く世界で英語が重要なことに議論の余地はなく、それがたとえ「受験英語」と揶揄され自嘲の対象となるようなものであったとしても英語はどうしても勉強する必要があり、そうして勉強したことをその後活かしてのばして活用していくことは本人次第でいくらでもできる。
どんな試験の方法が採用されようと、娘が勉強しなければならないことの本質は変わらないと思うのですよね。
試験なので、外部試験に対する攻略法的なテクニック面での対応を(ビジネス的にも)ぬかりなく準備していた向きは多方面にわたってあるでしょうが。
そもそもの大学入試改革が、受験をそういったいわゆるテクニックだけで乗り切るのではない、本質的な能力を求めてのことだったような気もします。
「やるべきことをやるだけ。」
それを子どもたちに対してきっぱりと明言してくださった娘の学校の先生の姿勢は、個人的にとてもありがたいことだと感じました。