先日のツイート。
夫が息子の住む所へ出かけていった。
最近また熱心に自転車を組んでて、それを載せて車で行き、向こうで息子と一緒に自転車で遊び、明日息子を載せて帰ってくるらしい。
自転車も車も子どものことも大好きで、それらをどんどん掛け合わせてどんどん自分で楽しくしちゃうところ、尊敬している 笑。
— ヌー : すっきり、さっぱり。 (@like_a_rhino) August 23, 2019
夫は楽しみじょうずです。
「楽しいこと」をするのって、楽しいですよねえ。
でもわたし実は、「楽しいこと」をするのがものすごくものすごく苦手だったんだよな、ってことを思い出したので、それについて。
自分を楽しませるのは、こわいこと
夫とは学生時代に出会って、かれこれ25年以上のつきあいになります。
夫はその当時から「好きなこと」や「楽しいこと」のカードをたくさん持っていて、どんなに疲れてしんどいときでも、そのカードを切って自分自身をごきげんな方向にむけていくのがとても上手で。
早朝、
「暑くなる前に自転車でどっか走ってくる〜✨」
と言って出ていった夫から、秋川渓谷にいるとのメッセージが届きました。
暑いのに…。
いや、暑いから、なのか…? pic.twitter.com/zJAyYyAuln
— ヌー : すっきり、さっぱり。 (@like_a_rhino) August 4, 2019
すごいなあと思っていました。
一方のわたしは、自分の「好きなこと」や「楽しいこと」にものすごく無自覚で、自分がなにをするとごきげんになるのかなんて全くわかっていなかった。
それどころか、自分を楽しませるのはこわいこと、のような気持ちすら持っていました。
「楽しいこと」と「苦しいこと」はセット?
自分を楽しませるのはこわいこと、なんてどうして思っていたか。
わたしは、「楽しいこと」はかならず「苦しいこと」とセットでやってくる、と思っていたのですよね。
「楽しいこと」があると、そのあとにはかならず「苦しいこと」がやってくる。
だから、とびきりの「楽しいこと」もむしろ無いほうがいい。
だって、とびきりの「楽しいこと」の後にはとびきりの「苦しいこと」がやってくるから。
「楽しい」も「好き」も「これやりたい」も、無いほうがいい。
そうすれば、少なくともそれとセットの「苦しい」はやってこないから。
そう思っていました。
「楽しいこと」と「苦しいこと」はセットじゃない!
その思いが変わってきたのは、16年前のがんの経験からです。
それまで、息をひそめるように、できるだけ「楽しいこと」に耽溺しないようにしないように生きてきたのに。
それでもこんなにも大きな病気をして、こんなにも「苦しいこと」にまみれることになった。
…え、わたしのガマン、すっごく無意味じゃん!!!
「楽しいこと」をガマンしたからって、「苦しいこと」がやってこないワケじゃない。
「楽しいこと」と「苦しいこと」は、セットじゃない。
…だったら「楽しいこと」をどんどんやったほうがいいよな!!!
「楽しいこと」を受け取って生きることにした
それまでだって、わたしはきっと「楽しいこと」をいっぱいしていた。
でもそれに対してとても無自覚で、そのくせ「苦しいこと」への恐れと結びつけることだけには熱心で。
要するに「楽しいこと」をきちんと受け取っていなかったし、それって結局自分の人生をちゃんと生きていなかった以外の何物でもないと、いまなら思う。
「楽しいこと」と「苦しいこと」はセットじゃない。
もちろん「苦しいこと」は起きるけど、それと「楽しいこと」とは無関係。
だからわたしは「楽しいこと」を受け取って生きる。
きちんと、いっぱい、受け取って生きる。
そう決めました。