わたしは今の家への引っ越しをきっかけに片づけと整理をはじめ、ここ数年でかなりの数のものを手放してきました。
いま振り返ってみると何を手放したのかすら思い出せないようなものが大半ですが、その中でひとつ、手放したことをとてもとても強く記憶しているものがあります。
記憶に残る、「手離したもの」
いまもわたしのなかで強く記憶に残っている「手離したもの」。
それが、これです。
英検の問題集。
手離したものの記録として保存していた画像に、残っていました。
昨年6月中旬に手放したんですね。
この問題集には、「ココカラ」と書いたふせんをくっつけていました。
このふせんをしおりがわりに、日々数ページずつ英単語を憶えようとしていたのですけど…。
ご覧の通り、まったく進んでないです 笑。
ごくごく最初の方で止まったまま。
なのに、ずーーーーっと手元に置いていました。
まったくやらないし、そもそも本当にやりたいかどうかもあやふや。
なので、これを捨てた時、すごく気持ちが軽くなりました。
たった一冊の問題集ですが、これがいまも心にとても強く残っている片付けです。
「すごい自分になりたかった自分」
はるか昔の学生時代に準一級は取得していたけれど、それ以来ほったらかし。
- 「一級」取るために頑張ってます!って、なんかすごくない?
- 「一級」ってそれっぽく見えて、なんかすごくない?
- 「一級」ってあったら使えそうで、なんかすごくない?
英検一級というものが実際 “すごい” ものなのかどうかは人それぞれですし、この場合どうでもいいことなので、とりあえず置いておきます。
2002年にがんがわかって、長いこと入院して治療したりして、それ以来本格的に働くこともしていなくて。
当時のわたしはおそらく、
- 「何かすごい自分」になりたかった
- 「何かをやっている自分」でいたかった
- 「頑張っていると思われる自分」でいたかった
のです。
この問題集には、そんなごちゃごちゃした自分がいっぱいにまとわりついてた気がします。
「すごい自分になりたかった自分」を捨てる
いまならはっきりわかります。
そもそも、こんなバカバカしくてつまんない理由でやってるから、まったくページが進まないのですよね 笑。
心の底から湧いてくるようなやりたい気持ち、たのしい気持ちでやってるんじゃないんだもん。
そんなことで、わたしの人生がごきげんになるわけがない。
だから捨てました。
すっきり、さっぱりです。
そしてそれといっしょに、
- 「何となく、すごい自分になりたかった自分」
- 「たのしくもないくせに、何かをやっている気になりたかった自分」
- 「やりたくもないくせに、がんばってると見られたかった自分」
も、ポイ!
これが、これまでわたしが手離した中でいちばんよかったものナンバーワンだと思っています。
「いまある自分」で必要十分とする
この問題集の片付けから一年あまり。
いまのわたしは、自分の心の底から湧き出るように思うのでない、中途半端な「なりたい自分」や「自分の未来」に、縛られるのをやめました。
そして、それに向けて自分を追い込むようなこともしなくなりました。
いまのわたしは、以前の自分が見たらバカだとしか思わないような生きかたをしているよなあとよく思います。
でも、いまここにあるわたしは、いまのわたしにとって必要十分。
手離したモノそのものはたった一冊の問題集ですが、それといっしょに自分の中のごちゃごちゃした部分を手放したことこそが、いまのわたしをとてもシンプルに、ラクにしてくれているような気がしています。
▼この記事を書くきっかけになったツイート。いろんな方とのやり取りから学ぶこと、気づかされること、多いです。
『人から馬鹿だと思われても自分のことを認めてあげられるように、(略)ようやくなってきました。』
ムハくんの文章で、わたしの中で言語化できたこと。
わたしがこれまで断捨離した中で一番大きなものは、
未来の自分への期待、だ。未来に絶望という意味じゃなくて、今がいいとする。 https://t.co/PKLuGfpHQb
— ヌー @ すっきり、さっぱり。 (@like_a_rhino) 2018年7月23日
▼片付けの記事は、こちらからもたくさんお読みいただけます。
▼ブログランキングに参加しています。下の四角いボタンをクリックして応援していただけるととっても嬉しいです。
▼その他のブログランキングです。テーマごとにランキング順でご覧いただけます。