先日、宮城(&ちょっと山形)へ行ってきた。
今回の旅程はざっくり;
- 1日目(仙台):仙台市内散策
- 2日目(作並・山寺):ニッカウヰスキー宮城峡蒸留所、立石寺
- 3日目(女川・石巻):おながわ秋の収穫祭2022、石巻震災遺構
- 4日目(松島):松島散策
- 5日目:帰宅
という感じ。
行き帰り高速バス、宿泊はカプセルホテル、な3泊5日ひとり旅。
きょうは、3日目の記録。
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3日目:おながわ秋の収穫祭、石巻市震災遺構(門脇小学校・南浜津波復興祈念公園)
今回の旅が北海道6泊7日旅から帰って間もないこの日程に決まったいちばんの理由は、おながわのサンマ祭り。
むかしから、秋になると必ずといっていいほどニュースで見かけていたこのイベント。
サンマの不漁によりここ数年中止になっていたのが、2022年は「おながわ秋の収穫祭」としてリニューアルして10月23日に再開されることになったと聞き、ぜひ行ってみたかった。
もちろんサンマが目玉のイベントではあるけれど、そのためというよりは、2011年の大震災で大きな津波被害を受けながらも、復興後のまちづくりのモデルとなっているという女川のまちを見てみたかったというのが実のところ。
さて、出発。
08:20 仙石東北ライン&石巻線で女川へ
08:20、仙石東北ラインで仙台駅を出発。
木々の間を縫い、海を遠くに近くに眺めながら走っていくのが気持ちいい。
途中、航空自衛隊松島基地のある矢本駅を通る。
2011年の大震災時、たくさんの航空機が津波にとらわれ流されていく映像、ショックだったな…。
石巻駅に到着。
乗るときには気づかなかったけれど、前の方が石ノ森章太郎のラッピング車輛だった。
仮面ライダー!
このとなりにはサイボーグ009の009と003もいた。
石巻で、石巻線に乗り換え。
この時点でもうすごい人出。ホームがひとでいっぱい。
乗り始めでこの状態で、ここから停車する駅でさらに人が乗ってきて、最終的には関東の通勤電車かな?というぐらいぎゅうっと詰まった。
石巻線、いくらなんでも普段からこんな混み混みじゃないよね…?
たぶんみんな「おながわ秋の収穫祭」目指してるんだろうなあ…すごい…。
10:00 おながわ秋の収穫祭へ
石巻線、海のすぐそばを通る区間が多い。
震災後何か所か内陸側に移設していたようだけど、やっぱりすべて避けては通せないよね。
09:59、女川駅に到着。
きっぷは駅員さんに手渡し。
女川駅ではIC改札が出来ないので、IC乗車してきてしまった人たちの清算の列が結構長くのびていた。
イベントはもうすでに9時からはじまっているからか、電車を降りるとみな一斉に駅出口の方へ向かって歩いていく。
このタイミングでバラバラと雨が降ってきて、あわててリュックの中から傘を引っぱり出す。
昨日から、どうも天気が不安定。
駅からまっすぐのびるモール街を通って海沿いの女川町海岸広場へ降りていくと、どこが最後尾かわからないほどの行列になっているのが見えた。
こちらはさんまのすり身汁を作っているテント。
さんますり身汁に並ぶほうの列はまだ短めだけど、炭火焼きさんまに並ぶ行列はすさまじい…。
炭火焼きさんま列の最後尾。
でもねえ、「おながわ秋の収穫祭」について調べている時から、わたしはもう決めていたのですよ。
ファストパス制を使う!と。
本来、炭火焼きさんまもさんますり身汁も最低100円で食べられるのだけど、500円以上を”協力金”として募金することで、ファストパスレーンで受け取れる。
真ん中のファストパスレーンはガラガラ。
並ばず、ゲットーーー!
炭火で香ばしく焼かれた女川のさんま、ちょっと痩せ気味で脂ののりはそれほどないけど、ありがたく、とってもおいしくいただいた。
食べている間にまた晴れてきたし、よかった。
…しかし、ファストパスじゃない列に並んでたら、いったいどれぐらいの待ち時間になったんだろう?
500円でさんま一尾と考えれば高いのかもしれないけど、自分ひとりだし、その協力金はこのイベントを維持するための燃料費や清掃費に使われるとのことなので、わたしとしては全然アリ。
来年以降も無事開催されて、たくさんの人が女川のまちを訪れる機会になったらいいと思う。
このほかにも露店やキッチンカーが並ぶ出店コーナーがあったので、ほやの唐揚げを購入。
イベントステージ会場から聞こえてくる太鼓の音を聞きながら、港の岸壁に腰かけてモグモグ。ほやの唐揚げ、おいしい。
そろそろ駅の方へ向かおうと歩き出したら、ひっくり返って木が生えたコンクリート製の建物をぐるりと囲んでいる一画が。
旧女川交番は、鉄筋コンクリート造2階建てで、東日本大震災における津波の引き波により、基礎部分の杭が引き抜かれ横倒しになったと考えられており、鉄筋コンクリート造の建物が津波で倒壊・転倒した事例は世界的にも珍しいものです。
旅東北 Webページより引用
横倒しになった建物の中では固定電話がコードでぶらーんと宙づりになったままになっているのも見え、生々しい。
こんな建物が基礎ごと持っていかれるなんて、津波の威力のすさまじさが伝わってくる。
ぐるりと取り囲むスロープには、震災の被害と、そこから女川のまちが復興に向けて行ってきた取り組みの記録が。
この一枚にもガツンと来た。
日本全国、こうであってほしいよ…。
周りを見渡すと、高台にむけて整備された斜面がいくつか目に入ってきて、これも津波に備えた女川のあたらしいまちづくりの一環なのかもと思った。
駅からまっすぐにのびるシーパルピア女川は、開放的な遊歩道の両側に飲食店が立ち並ぶ商業エリア。
まわりのお店は行列ができているところがたくさんあり、遊歩道ではテイクアウトしてきた食べ物をベンチやテーブルで広げて楽しそうに食べているカップルや家族、グループがたくさんいた。
この遊歩道がほんとうによくデザインされていて、植栽の周りをぐるりと取り囲むようにスタンディングテーブルが設置されていたり、レンガを低く広めに組み上げてベンチとしてもテーブルとしても使えるようなスペースが作ってあったり、ここへ集まってくるひとが落ち着いて気持ちよく過ごせる場所がちゃんと用意されている感じ。
最近、ひとがとどまらないようにベンチすら置かない風潮がある中、シーパルピアのまちづくりへのあたたかい思いが伝わってくるような気がした。
若い人が中心になりみんなで作っただろう女川のまちは、あかるくていいね。
女川に来られて、実際に自分の目でいろいろ見て、感じることができて、よかった。
それはあくまで「いま」の女川だけだし、いいところしか見てないだろうことは間違いないけど、それでもよかった。
13:21、女川駅から石巻へ向けて出発。
女川を出たとたん、どんどん雲が厚くなり、雨が降ってきた。
雨雲レーダーを見ると、石巻は16時ごろまでしっかりと雨雲に覆われるとのこと。
えええ…そんなのぜんぜん予報にはなかったのに…。
石巻に着くころには土砂降り。
海沿いの震災遺構、門脇小学校と南浜津波復興祈念公園まで30分ほどのんびり歩いていくつもりだったので、ここまで降ってるともうお手上げ。
このまま石巻駅を出ずに仙台まで戻っちゃおうかな、翌日またここまで来てみようかなと思ったけど。
とりあえず、駅前のイオンの中に観光情報センターがあるというので、立ち寄ってみた。
レンタサイクルは天気悪いし、門脇小学校まで歩いていくのって大変ですよねえ?とスタッフさんに尋ねると、「循環バスで行けますよ」とのこと。
あ、バスあるんだ。
翌日は月曜日でもろもろの震災遺構も休館らしいし、やっぱり今日このままいくしかない!
バスの時刻表を見せてもらったら、15時ちょうどに石巻駅から出るバスがある。
そのうち雨も上がるだろうし、これで行こう!
15:00 門脇小学校震災遺構へ
15:00、石巻駅前バスロータリー2番から出るバスに乗車。
日本製紙の大きな工場の横を通りつつ、10分ほどで門脇四丁目バス停。
降りたらもうそこは、石巻市震災遺構 門脇小学校だった。
向かって左側が門脇小学校校舎遺構、その右側に展示館。
展示館(600円)へ入場すると、津波に飲まれ、くしゃくしゃに潰された消防車と乗用車が目の前にあらわれる。
不意を突かれて、胸が詰まる感じがする。
丁度ガイドツアーが始まっていたのでいちばん後ろについて震災遺構となっている本校舎へ上がっていくと、当時の被災状態のまま保存された教室の中が見えた。
壊れた机やいすやがれきが散乱し、天井は落ち、かべは剥がれ、窓ガラスも抜け落ちて、海側の景色が素通しになっている。
ここまでひどく破壊されたのは、押し寄せてきた津波だけでなく、その津波に乗ってきた火の点いたがれきによる火災が発生したことが大きかったとのこと。
これだけひどい被害を受けた本校舎のすぐ裏側には、ピカピカの校舎が。
実はこれも本校舎と同じ時期に建っていたもの。
だけど、きれいに残っている。
いちばん海側に近い建物が、いちばんの衝撃を受ける。
その背後にある建物は、少なくともいちばんの衝撃は免れる。
「津波が来た時にはより高いところへ垂直避難せよということが言われますが、それと同時により直接的に津波を受けにくい建物への避難も必要だということがよくお分かり頂けるかと思います」とガイドさん。
この小学校ではふだんから子どもたちの居住地域まで勘案した縦割り教育が行われていて、震災当時そのおかげで全員が裏手にある日和山とその奥にある高校校舎まで無事に避難でき、避難後の家族との連携も比較的スムーズにおこなわれたとのこと。
よかった…。ここの子どもたちはみんな無事だったんだ…。
そういったエピソードも含め、展示館には、当時の被災状況とそこから導き出される教訓を後世に伝えていきたいという思いがいっぱいに詰まっているのが感じられる。
ガイドさん自身の被災当日の経験、見かけた光景のお話にも、胸が詰まった。
最後は、被災後の仮設住宅の展示。
六畳に満たないぐらいの和室と、お風呂トイレとキッチン。
必要最低限のものはそろってる。暮らせる。
暮らせる、だろうけど…。
どれほどの不安、恐れ、心配、もどかしさにおしつぶされそうな年月だっただろうと思う。
苦しさが伝わってくる。
1時間半ほど見学して外へ出ると、雨が上がっていた。
この校舎が、いろんなことを伝えてくれてる。
16:30 南浜津波復興祈念公園へ
道路を越えて海側の、南浜津波復興祈念公園へ。
宮城県石巻市は、約4千人の犠牲者が集中した国内最大の被災市町村で、その中でも旧北上川河口部に位置する南浜地区(南浜町、門脇町及び雲雀野町)は津波の襲来とその後に発生した火災の延焼により500人以上の方々が犠牲となりました。
特に被災の大きかった南浜地区は地震、津波、火災及び地盤沈下の被害を複合的に受けており、東日本大震災の平野部の被災を代表する場所となっています。
石巻南浜津波復興祈念公園Webページより引用
伝承館の最終入館時間(16:30)が迫っていたけど、展示よりもこの一帯ぐるりを眺めたくて、「一丁目の丘」へのぼってみる。
旧北上川河口から日和山、門脇小学校、伝承館、日本製紙の工場、そして石巻の海。
たぶん、ここから見る海だけが、震災前と変わらないんだろうなと思った。
その変わらなさの前にこうして立ってみると、人間のいとなみのちっぽけさが一層際立つ気がして、圧倒的な無力感に背筋がぞくっとする。
17:02、門脇小学校前のバス停から、石巻駅へもどるバスの最終便に乗車。
震災時、このまちのたくさんの人を守っただろう日和山にも上がってみたかったけど、それはまたいつか。
バスに乗ってすぐに、宮城県出身の友達から「石巻に行くなら白謙の笹かまと揚げかまぼこ食べてみて!」と言われていたのを思い出した。
バスの運転手さんに尋ねると、一番近いバス停で降ろしてくれた。
友達いわく、白謙のかまぼこはぷるぷるでほんっとうにおいしい!絶対食べてほしい!らしい。
しそごま入り笹かまぼこ、チーズ入り笹かまぼこ、しらす大根の葉入りミニ白謙揚げ、紅しょうが入りミニ白謙揚げ、真いか入りミニ白謙揚げをひとつずつ買って、おやつがわりに食べてみたら、ほんとうにぷるぷるでものすごくおいしかった。
(さっそく検索してみたら石巻市のふるさと納税で白謙かまぼこがあったので、年末までに注文するつもり。)
17:53、石巻駅を出て、仙台へ向かう。
18:51、仙台駅着。
なんだか長いいちにちだった。
いろんなものを見た。
19:00 みのりカフェ仙台で夕食
この日はもう、かるくささっと夕食を済ませちゃいたい気分。
仙台駅の中を歩いていて通りかかったみのりカフェへ入る。
野菜たっぷりねぎとろ丼セット。
大きなボウルに野菜と雑穀がたっぷり入ったねぎとろ丼に、スープとポテトとドリンクがついてきて、ボリュームにびっくりした。
990円でこれはすごすぎない…???
ここ、どうやら全農が運営するカフェらしく、だから野菜がこんなにしゃきしゃきと新鮮でおいしいのか!という感じ。
ごちそうさまでした。
宿へ戻り、シャワーを浴びて就寝。
おやすみなさい。
おわりに
女川、石巻と、2011年の震災で大きな被害を受けたまちを歩いたいちにち。
女川では基礎ごとひっくり返った旧女川交番と若くあたらしいまちの対比に希望を抱くような気持になったし、石巻では復興祈念公園の向こうの海のひろがりに畏怖と恐怖を感じた。
駆け足だったけど、行って、見て、よかった。
▼天気が不安定で、晴れていたと思ったら突然大雨になったり。フード付きのジャケットが防水、防寒になって本当に助かった。
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