それがつまり「品」か!
天皇即位式のニュースを見ていて思ったことを。
かしこい子って、顔の造形うんぬんを超えた美しさを醸し出してくるよなあって、芦田愛菜ちゃんをみてると思う。
— ヌー : すっきり、さっぱり。 (@like_a_rhino) November 9, 2019
女優の芦田愛菜さん、もはや「ちゃん」付けはふさわしくないほどの凛とした佇まいに圧倒されました。
まだ中学生なんですね…、ほんとすごい。
おとなのチェックは当然入っているでしょうが、自分の頭でしっかりと考えたであろうことがよくわかる文章をていねいにことばにしていく姿。
かわいらしい見た目以上に、姿かたちの造形うんぬんを越えたところにある美しさを感じました。
で、こういうときに感じる「美しさ」ってなんなんだろうってふと考えていて。
あ、それがつまり「品」か。
— ヌー : すっきり、さっぱり。 (@like_a_rhino) November 9, 2019
それがつまり「品」というものなのかもしれない、と思い至りました。
「品」、大事だなあ。
造形はいまさらいかんともしがたいから、せめて「品」は持っていきたいところ。
地味~なことをコツコツと
世の中に、「これだけで万事解決!」みたいなことってないよなあ、と。
✔️ヨガ45分
— ヌー : すっきり、さっぱり。 (@like_a_rhino) November 13, 2019
✔️ウォーキング1時間
ヨガ、ちょびっとずつだけどほぼ毎日やってて、それでも毎日「あー、縮こまってるなー」と思う。
結局、一回やれば効果抜群!みたいなことってなくて、物足りないようなマイルドなことをコツコツコツコツ続けるしかないんだよなって思う。
がん治療後の回復の過程で、いろんな「療法」に出会いました。
でも正直、どれもそれだけでは自分の精神的にも肉体的にも極端な偏りが出やすく、本能的に危険を感じました。
自然界において「これだけですべて解決!」みたいなことってまずないし、よしんばあったとしてもよっぽどの知識を持って細心のバランスコントロールをしながら取り扱わないと、逆に大きく毒側に振れたりすることすらある気がする。
絶対的なオンリーワンを探し求めて依存するのではなく、効いているんだか効いていないんだかわからないような地味~でマイルドなことを、コツコツコツコツ淡々と積み重ねていく。
フィットネスに限らず、食事でも勉強でもそれこそ何かの趣味の練習でも、結局はそれしかないんだろうと思っています。
時間とお金を自分のために使うということ
サッカー選手の本田圭佑氏のツイート「#ほとんどの人は方法論に投資する」について、思ったことを。
だからわたしは、いまよく売られてる類の本に全然価値を感じられないんだろうな。
— ヌー : すっきり、さっぱり。 (@like_a_rhino) November 14, 2019
外から「方法論」を教えて、自分の中の思考を近道させるようなことしか書かれてないんだもん。
そんなの読んでる時間とお金があったら、外に出て人に会ったり旅した方がいいと思っちゃう。 https://t.co/bS3Cy0EtT5
電車などに乗ると、その時に売れている(売りたい)本の広告が掲示されているのが目に入ってきます。
ビジネス分野、健康分野、くらし分野などいろいろあれど、個人的にはあまり興味を引かれません。
だって、いまの世の中のものごとをどうとらえるか、どう考えてどう乗り切っていくかの「方法論」みたいなものなんて、結局自分自身の頭とからだでひとつずつ体得していくしかなくない?
もちろん「参考」になることも見つかるだろうけど、その「参考」だけのために日々一体どれだけのお金と時間が使われているんだろう?
超卑近な例で言えば「収納法」ひとつ取ったってそう。
他人様の収納法が自分のくらしにすべて合うわけじゃない。
結局は、自分の思考や動きを注意深く観察して、自分のくらしに合う収納法を自分で編み出すしかないもん。
他人様の方法論を「参考にする」ためだけに時間とお金を費やし続けるより、その時間やお金で直接自分の頭とからだを動かし、自分なりの価値観や意識を確認していくような体験をコツコツ積み重ねることの方がよっぽど効果的で本質的だと思う。
方法論なんて、そこから自分で生み出していくもの。
時間とお金を自分のために使うって、そういうことかと。